「しらかみな人」とつながるインタビュー 昌子の いつか白神でフォークダンスを。

第11回目 米澤 昭也さん 西目屋村特産会 会長

「山菜採りのプロとして生きる」


青森県西目屋村出身の米澤昭也さんは高校卒業後に上京、20代は関東で仕事をし、30代で帰省する。現在は西目屋村周辺の里山で天然の山菜やキノコを採り、地元の道の駅や全国に向けて卸しを行う「山菜採りのプロ」として活躍する米澤さんに、お話を伺いました。


Q山菜採りを始めたきっかけは?


「山に入るようになったのは30代で地元に帰省してから。10代、20代の若い頃は山に入ろうとも思わなかったよ。」


Qえ、そうなんですか?山にお詳しい現在の姿を見ていると昔からずっと山に入っていたと思いました。


「若い時は山よりも町に行きたかったもんだよ。あなたもそうでしょ?だけど30代で山に入るようになってからは山が楽しくて。爺さんが西目屋村でマタギをやっていたし、父親もキノコ採りをやっていたし、自分の中にも山が好きな血が受け継がれているんだと思うね。」


Q家系的にこの山で生業をしてきたルーツがあったのですね。山菜採りやキノコ採りをする中で苦労する点はどんなところですか?


「苦労するというか、やっぱり目当てのものが採れなかった時はガッカリするよね。時間をかけて山の中を歩き回っても収穫が無いとただ疲れただけになってしまう。」


Q反対に収穫のある時はやっぱり喜びが大きいですか?


「そうだね。大きいキノコがあるとよっしゃー!ってガッツポーズをしたくなる。それに物が採れれば早く帰れる。ザックが一杯になれば今日はここまで、って切り上げるんだ。」


Qザック一杯にキノコが採れるなんて、さすがプロですね!キノコや山菜が生えている場所や時期はどうやって覚えたんですか?


「今の自分のポイントは全部自力で見つけた場所だよ。マタギをやっていた爺さんに場所を聞こうと思った時にはもう爺さんが年を取りすぎてしまっていたし。山菜は大体毎年同じ場所に生えるからいいけど、舞茸は同じ木に毎年つく訳じゃないからあちこち場所を覚えるんだ。去年はこの木についたから今年はこっちという感じで探していく。」


Q笹藪が生い茂る白神の森の中をあちこち覚えるなんて大変ですよね。


「いいキノコや山菜は奥山にはたくさんある。でも、このままだと山の恵みをいただきながら生活する文化は途絶えてしまうと思っている。最近は同業者の高齢化が進んでいて、奥山まで行ける人が減ってきているのが現状なんだ。奥山まで行くには危ない思いをする事もあるし、山を相手に生業をするには本当に覚悟が必要だから、これからの世代の人の中にその選択をする人はあまり出てこないんじゃないかな。採る人が減れば、食べたくても食べれなくなるよね。」


Qこの地域の大切な文化が失われてしまうのは切ないですね。米澤さんの後継者は?


「教えてって言われれば教えるけど・・・。本当に大変なんだ。覚悟はあるのか?(笑)」


Qそう言われると・・・勇気がいりますね。今日のお話しから、私たち消費者が山の恵みをスーパーや道の駅で手軽に手にする事が出来るのは、米澤さん達の苦労のおかげということを実感しました。


「西目屋村の山の恵みを全国の人に食べて欲しくて、地元に卸す他にインターネットで販売をしたこともあるよ。今では無印良品に取り扱ってもらったりもしている。食べて美味しいと思ってもらえるようなものだけを選んで採ってもまだまだ採りきれないだけあるんだから、白神って宝の山だと思うんだ。」



(取材・文・編集/白神山地ビジターセンター 山本昌子  撮影/小田桐啓太)