「しらかみな人」とつながるインタビュー 昌子の いつか白神でフォークダンスを。

第36回目 佐藤 陽子さん  佐藤陽子こぎん展示館 館長

「一刺しに込められたメッセージを未来へ」


──津軽の風土と知恵により生み出されたこぎん刺し


こぎん刺しのルーツは津軽の農民の野良着。 江戸時代、木綿の着用を禁止された津軽の農民たちは、衣服としての強度を増すため、また、冬の寒さを耐え忍ぶために布の折り目に麻糸を刺して塞ぎました。そのうち「モドコ」と呼ばれる基礎模様が生まれ、それが連続することで複雑な幾何学模様となり、女性たちがその腕を競い合うことで「こぎん刺し」として発展していきます。

明治以降には木綿が一般に流通するため一時途絶えたものの、柳宗悦が推し進めた「民藝運動」の機運が高まるとともに古作の蒐集や保管がなされ、再興を遂げました。 その後も津軽の民芸として生活の中に溶け込んできたこぎん刺しが、全国に愛され、世界中の人にその存在が知れ渡るようになりだしたのはここ数年間のことです。


佐藤さんが初めてこぎんを刺したのは20歳頃のこと。 ある時、津軽こぎん刺しの二本柱のうちの一人である前田セツ先生が持っていたバッグに刺されているこぎんに目が止まり、「他にない模様に惹かれたの。オシャレだな、凄いな」と感じたそう。 その後前田セツ先生、葛西セイ先生、高橋寛子先生の3人を師事します。


──展示館にいらっしゃい


「私がこの展示館をオープンしたのは、こぎんの裾野を広げるためなの」 展示館には佐藤さんがこれまで集めた明治期の古作を展示するコーナーと、佐藤さんの作品を展示するコーナーがあります。 佐藤さんの作品の中には、大きなタペストリーやバッグなどの他に、傘や、コーヒー豆を入れる麻袋など、「こんなものにもこぎん刺しを使えるの?」と思わされるものが多い印象。

「昔は『こんなものにこぎんを使っていない』など色々言われたけどね。でも、こぎん刺しでこんな冒険ができるということを皆さんに知って欲しくて展示しているの。」カラフルでモダンな佐藤さんの作品は見る人の創造欲を搔き立てます。

「私はこぎんの入り口はどこでもいいと思うの。まずは可愛いと思う模様を身近なものに刺してみて、こぎんとは何なのかを知っていただきたい。どんどん刺してみてこぎんへの欲望が膨らんだ時に、きっとルーツを訪ねたくなりますよね。その時はどうぞ津軽へおいで下さい。お迎えする準備はできています。」開館10年で6,000人の方が来館者したそう。佐藤さんお一人でそれだけの人を迎えるのですから、懐の深さに頭が下がります。

「2010年の開館当初はこぎんが何かを知らない人が来館していたの。『津軽の人たちはゴミ同然のものを見せて恥ずかしくないのか』なんて言われたこともあったのよ。一昔前はそれだけ価値も認知度も低かったのね。それが今ではこぎんのサークルは全国に数え切れないほどあるし、披露する場も増えたよね。」

確かに近年書籍や雑誌で扱われることも多く、県内はもとより全国的にこぎん刺しに関するイベントが大小様々な規模で開催されるようになり、認知度は年々向上しています。

また、西目屋村「グリーンパークもりのいずみ」や星野リゾート「界 津軽」がこぎん刺しをテーマにした客室空間を作り出した他、様々な企業がこぎん刺しとコラボした商品を開発するようになりました。現代のこぎん刺しの進化をかつての津軽の女性たちが知ったらどれほど驚くことでしょう。こぎん刺しにはまだまだ無限の可能性が広がります。


──文化を伝える心


「西目屋村は西こぎん発祥の地といわれ、その原点は白神山地にあると思うの。」 西目屋村中央公民館のロビーには天井から大きなこぎんのタペストリーが吊るされています。それはかつて緞帳として使われていたもので、倉庫で眠っていた状態から何か活用できないかと相談された佐藤さんが、白神山地が世界自然遺産に登録された記念に再度お披露目しては?とアドバイスして展示に至ったそう。その後も佐藤さんは西目屋村における「西こぎん発祥の地」PR活動を力強くご支援されています。


伝統や習慣を後世に伝えるには何が必要か、の問いかけに「大切なのは文化を伝える心。文化の礎というものは太古の昔から伝わってきているものを人類が真心で繋いで来たものだと思う。それがこぎんであれ何であれ、生活の中に溶け込んでいるものは伝えていくべきものだと思う。」と穏やかに語る佐藤さんの言葉の奥に、こぎん刺しの価値を信じ、普及に挑戦してきたこれまでの歩みを想います。

こぎん刺しのことを何も知らなかった私も、佐藤さんとお話ししたことで「津軽のこぎん刺しって実はすごくてね・・・」と誰かに伝えたくなる。それは佐藤さんの「真心」が伝わってきたからなのだと実感いたしました。



(取材・文・編集/白神山地ビジターセンター 山本昌子  撮影/小田桐啓太)