間もなくバスは上り坂に指しかかります。ここは緩やかなカーブで振り返ると西目屋村の本村、神田が良く見えることから見返り坂と呼んでいます。
昔、白神山地の麓、砂子瀬や川原平など奥目屋では耕地が少なく主食はフキなどの山菜に米は1~2割程度のカデ飯。
主な産業は薪や炭焼きなどの山仕事、男たちは山で炭を焼き妻は家事を担当、炭を運んで売るのが女の仕事、小学校高学年になると白神山地から炭を2俵背負って腰に袋を1個下げ、現在の西目屋村神田まで下って炭を売る。
そのお金で米を買って腰に下げた袋に入れて持ち帰る。これを1日に2度繰り返す。
3日間雨が続くと炭は濡れて売り物にならないため奥目屋では米が1粒も無くなったそうです。
炭の背負い子がモデルとなった目屋人形はビジターセンター向いの道の駅で買うことが出来るが、絣の上下を着た綺麗な顔をしています。
しかし、実際は炭の粉や汗で顔や衣服はドロドロ状態、あまりの辛さに帰りたくない。
見返り坂まで来ると思わず目屋の本村、神田の方を振り返って見る。
このことから、見返り坂と言うようになりました。
白神山地ビジターセンター 解説員 櫛引 英雄