「村おこしのため伝統工芸品目屋人形を復活」
──懐かしき里山の暮らしを伝える目屋人形
目屋人形のモデルは、炭俵を背負って山を下るこの村の娘たちです。ほぼすべての家庭で炭焼きが行われているほど、木炭作りは村の経済を支える大事な産業の一つでした。
男の人が山の中にある炭小屋に数日間泊まりがけで炭を焼いて、出来上がった炭を炭俵に詰めて里まで運ぶのが女の仕事。険しい山道を重い荷物を背負いながら歩くものだからそれは過酷な仕事でした。
私も炭を背負って歩いた娘の一人。生活のためを思えば雨の日だろうと休めないし、炭がたくさんできた日には1日2回運ぶこともあり、今でも「よく働いたな」と思います。
顔は炭と日焼けで真っ黒だったけど、炭俵を背負った若い娘たちが目屋渓の川渕を連なって歩く姿は絵になるような美しさだったそうだよ。一つの芸術だっていう人もいる。この目屋人形は、そんな時代を象徴する大切な人形なんです。
──手仕事光る人形作り
私たち人形制作部会が目屋人形を作り始めたのは昭和59年ごろでした。商工会の方が私のところに「これ作れないか」と言って目屋人形を持って来たのがきっかけです。目屋人形は元々昭和初期から作られていましたが、需要の低下やメンバー不足が原因で、一時制作が途絶えていました。「村おこしのために」という思いでもう一度目屋人形を復活させようと、十数名の村の女性が集まったのです。
作った人形は村民のみなさんへの記念品として、西目屋村中央公民館が完成した時や成人式の時にプレゼントしました。
初めは作り方を知っている人がいないところからのスタートだったから1、2年は売りに出すような見栄えのものはできなかったの。だけど作業をしながら試行錯誤を続けるうちに、細かな部分までこだわった作りになりました。
今ではお土産品として村内で販売している他全国の民芸品ファンの方から注文をいただくようにもなり、「やっといいものが作れるようになった」と思っています。30年作り続けてきて、やっと。
炭俵だけでなく、人形が身につけている道具にも村で採れる自然素材をたくさん使っています。腕や足はワラを束ねたものに絣の生地を巻き付けているし、ケラという今でいうコートのようなものはスゲを編んで作っています。この村は白神山地の森に囲まれているおかげで自然豊かだから、農作業や山仕事に使う道具も自然のものを利用してきた歴史があるんです。
自然と共に生きてきた村の歴史と伝統を伝えるため、時間はかかっても一つ一つ手作業で作っています。よく「人形一体作るのにどれくらい時間がかかりますか?」って聞かれるけど、パーツ一つ作るのにもすごく手間がかかっているからなんとも答えられなくてさ。この位手がかかる人形って、余所にはないんじゃないかな。
──目屋人形の未来を見つめて
コロナの感染防止のためにここ1年間ずっと活動休止していたから今日は久しぶりの活動になります。会の活動が活発だった時は週1回集まって、1日5~6時間、ワイワイおしゃべりしながら作っていました。作業の合間におやつを食べながら世間話をして、みんな楽しんでいましたよ。
でもそれも高齢化でだんだん人数が減ってきて、この先は「後継者ができないから終わりかもしれないな」と思う所まで来てしまいました。器用な技術が必要だし、今の若い世代はみんな勤めがあるから人形作りをしている時間は無いでしょう。時の流れは仕方がないけど、寂しいものだよね。目屋人形はまた、幻になってしまうかもしれませんね。
取材後記
津軽弁が飛び交う和やかな制作風景にすっかり魅せられました。会話に花を咲かせながら熟練とした手つきで部材を編む前山さんは職人さんそのものでした。ご一緒にお話しを聞かせていただいた制作部会の皆さん、ありがとうございました。お土産でいただいた手作りの「がっぱら餅」美味しかったです!