「しらかみな人」とつながるインタビュー 昌子の いつか白神でフォークダンスを。

第20回目 三上 雪路  TSUGARU白神ウルシ俱楽部 代表 TSUGARU白神ウルシ俱楽部 代表

「白神の森に抱かれ、縄文文化息づく土地で漆を育てる」


Q.漆に魅せられることとなったこれまでの経緯を教えてください。


自分の作品(デコラティブペインティング)に漆を利用できないか?が始まりです。 デコラティブペインティングは木製の生活雑貨や家具にアクリル絵具や油絵具で絵付けを施し、最後にニスを塗って光沢を出します。16世紀に日本から輸入された漆器の光沢に魅了されたヨーロッパの人々が、ニス、そして漆に似せたジャパニング技法を見出しました。その後18世紀初めにイギリスで開発されたトール・ペインティングが移民と共に新大陸アメリカに渡ります。そして今から約30年前にアメリカから「トール&デコラティブペインティング」として日本に伝わりました。このような世界を一周する長い旅の末、日本の漆が姿を変えてまた日本へ戻ってきました。


そこに不思議な縁を感じた私は次第に漆に惹かれ、ウルシの木と関わりを持つことになっていきました。
2017年、自分の作品に漆を用いてみようと思い、ある津軽塗職人師事したところ、漆塗りの工程にはデコラティブペインティングに通じる部分があると気付き、益々惹かれていきました。

その後、青森県立郷土館2019年度企画展「新説!白神のいにしえ」を観覧し、西目屋縄文遺跡群と、そこで出土された漆製品の素晴らしさに感動したことをきっかけに縄文時代漆製品の研究成果に興味が湧き、特に籃胎漆器の漆の塗り重ね技法について追究しました。


ウルシの木は縄文時代早期草創期の頃のものが発見されていて、その後約7500年前ごろにはウルシの木から滲出した漆を使った様々な製品が見られるようになります。

漆は「乾く」ではなく、漆の成分である酵素が空気中の水分を取り込んで「固まり」ます。その性質を利用して接着剤や補修剤の役割を孕んでいたほか、当時からすでに「漆塗り」の技法も見られます。

ウルシの木から滲出した漆を精製し顔料を混ぜて赤色や朱色にした、この発想と技法が縄文時代にすでに確立されていたことに驚かされました。赤色の使用は信仰という側面もありますが、赤色と黒色を組み合わせた表現そして塗り重ねの順序についての拘りなども確認できることから、縄文時代の人々も、現代の私たちと同じく、美しさを求めていたことが想像できます。耐久性や耐水性のためだけならわざわざ赤くする必要はありませんからね。


Q.遊休りんご園地へのウルシ植栽活動について教えてください。


2015年、文化庁通達によって、国庫補助を用いて実施する国宝・文化財建造物の保存修理で使用する漆を原則国産としております。国産漆の増産と施業技術の普及を図り、2020年から青森県中南地域県民局農林水産部林業振興課による「TSUGARUうるし施業技術研修会」が開催、私もこれに参加し、苗木生産や植栽についてご指導していただきました。


この時にウルシ液を採取するためには、林業として漆を考えることの必要性を知ったのです。
さらに2022年4月より、遊休りんご園地への植栽について、管理や経営方法を指導していただき、山林への植栽とは異なり植栽後の維持・管理が目の届く範囲で可能であると推測することができました。

その一方、今は津軽ダムの底に沈んでしまった西目屋縄文遺跡群に想いを馳せると、伝統工芸としての津軽塗や文化財修復のためのウルシ苗木植栽とは異なる、西目屋村独自のストーリーを基に西目屋村にウルシ苗木を植栽したいと考えるようになりました。縄文人が行っていたことと同じように、里山でウルシの木を管理栽培し、採取、活用するというストーリーです。

そこで「TSUGARU白神ウルシ倶楽部」を結成し、中南地域県民局より200本のウルシ苗木の提供を受け西目屋村への植栽の実施に至りました。


Q.植栽を終えていかがでしたか?


最初は雑草だらけの山でしたが、主人や周りの人の力を借りて整地することができました。 これからは草刈りや薬剤散布などの作業が待っていますが、特に最初の三年間は丁寧に下草刈りをして、苗をしっかり育てて行かなければなりません。 今後15年、20年後に漆が採取できるように、いにしえからこの地域で営まれてきた漆との関わりを次世代に継承できるように。


Q.これからの白神山地は、どんな場所になってほしいでしょうか。


「保護」と「活用」二つの言葉はあらゆる場面において対で登場します。 この二つを実行することは簡単ではありませんが、人と自然が「共生」するためには必要不可欠です。それにはお互いの事を知ることが重要です。すなわち30周年を契機として、今一度「世界自然遺産白神山地」についてあらゆる角度から人々は知る(学ぶ)ことが必要だと考えます。そういった学びのプログラムを、あらゆる年代に向けて体系的に設定し、五感を通して白神山地を理解できれば「共生」のためのアクションにつながるのではないでしょうか。 「共生」によって、人々の心も豊かになるでしょう。

ごくあたりまえのことですが「白神山地」は、私たちの背景に普遍的に存在し続け、あらゆる動植物と人が共生する、そういう場所であり続けて欲しいと願っています。



(取材・文・編集/白神山地ビジターセンター 山本昌子  撮影/小田桐啓太)