「しらかみな人」とつながるインタビュー 昌子の いつか白神でフォークダンスを。

第29回目 根深 誠さん  紀行作家・登山家

「人と自然の結びつきについて」


──ヒマラヤに通って50年


根深さんは白神山地、ヒマラヤ、渓流釣りなどの体験を綴った紀行文を数多く執筆され、なかでも日本人僧侶河口慧海のチベット潜入経路を辿った『遥かなるチベット』は第四回JTB紀行文学大賞に輝きました。

ヒマラヤ遠征の原点は大学時代の出会いに。明治大学に進学後、山岳部に入部し登山技術を学びます。明大山岳部といえば、世界初の5大陸最高峰制覇を成し遂げた故・植村直己さんを輩出した名門山岳部で、根深さんは植村さんの後輩に当たります。 「ある時植村さんと二人で登山に必要な食糧の準備をしていたら、植村さんが『外国の山行きたくないのか?』って。いや行きたいですよ、って言ったら『じゃあ行けよ、俺だって行ったんだからな』とかって。あの人単純なんだ」


大学を卒業してから現在に至るまで、50年もの間ヒマラヤへ繰り返し足を運んでいます。そびえ立つ山々を見ては「おい、お前なかなか良い山だな。一丁登ってやるか」とアタック。6,000m級の無名峰の初登頂も果たしますが、命名の権利を与えられるものの「根深ピークだのって、めぐせぇこといいって。無名峰は無名峰のままでいいんだ」とあっさり辞退したそう。

(めぐせぇ=津軽弁で恥ずかしい)

また、2004年にはヒマラヤ奥地ツァルカ村に3年がかりで鉄橋を架設。旧知の友人や在ネパール日本国全権大使の支援を受けながら村民たちの悲願を達成しました。そのような体験をとおして出会ったヒマラヤの山村に暮らす人々との交流から、山や自然そのものの内面的な部分に気づきます。


Q.──白神山地での思い出


「岩木山の山頂から見れば県境の山がばーって見えるわけだ。1,000mの山が連なるあの場所はどんな所だろう、一発片付けなければならない」 白神山地に初めて足を踏み入れたのは血気盛んな高校時代のこと。岩木山のてっぺんから裾野に広がる広大な森林を見下ろした根深さんは、山仲間の友人三で西目屋村・暗門の滝から白神岳を経由して十二湖(深浦町)まで途中道に迷いながらも6日間で踏破したそう。

その後も何度も白神山地を訪れては、「杣道」と呼ばれる先人たちの生活道を辿り、跳ね返されるような藪を漕ぎ、清流を遡行しながらイワナを釣り、自然の豊かさを体験したそうです。

また、白神山地の知識を求め、西目屋村の老マタギ・鈴木忠勝さんや山で暮らしてきた人との交友を深めます。「あの頃はまだ自然と共に生きていた人たちがいた。そういう人たちの暮らしを残さなければと思い、色々聞いて私も身につけたんだ」と、白神山地で過ごした日々を振り返ります。


Q.──「目屋の奥の山」が世界の宝に


避難小屋や公衆トイレはもちろん登山道すらない本州北端の奥山が広く世に知れ渡るようになったきっかけこそ、根深さんが主導した自然保護運動です。 1970年代の終わりころ、青森県南西部と秋田県北東部にまたがる山地帯を通す林道を建設する計画が持ち上がります。本当に工事が開始すれば周囲の原生的なブナ林が伐採されてしまう、と心配した根深さんは関係者への聞き取りを行い、この時点では計画は具体的なものではないとされました。

しかし、1980年に入り本格的に工事が決定したことが報道されます。根深さんや、弘前大学の先生、野鳥の会、山や渓流釣りを愛好する人々はこれを危機と感じ、良好な自然環境を保護するために林道建設中止を求める「青秋林道に反対する連絡協議会」を設立します。

「保護運動を展開するにあたり、三点の骨子を決めたんだ。

一つ目は保護する土地の名称。呼び方をどうする?となり、白神山地で行きましょうと私が提案したわけさ。白神山地という言葉が出てくる本が3冊あるのを覚えていてね。それ以前は弘西山地と呼ばれていたけど、青秋林道に反対するのに弘西山地だとなんだかややこしいでしょ。

二つ目は保護する面積。秋田側も含めて林道が入っていない森に線を引いて、約16,000haに決まった。これはだいたい現在の遺産地域の面積と重なるよね。

三つ目は、どの法律で保護してもらうか。自然を守るための法律は国立公園、国定公園、原生自然環境保全地域、自然環境保全地域などの四つがあるんだけど、国立公園や国定公園は国民の保養が目的なわけで、それとは違う。原生自然環境保全地域っていうのは葉っぱを拾ってもだめ、石を持って帰ってもだめで、生活の山として使われてきた白神山地には合わない。だから自然環境保全地域で行きましょうと決まったわけさ。」


根深さんは事務局として、自ら撮影した白神山地の写真でアルバムを作り、東京の山岳会や自然保護団体を訪ねては保護運動への協力要請に奔走しました。 林道建設中止を求める地元の声が高まるとそれに全国が呼応し、日本で初めて市民の力により公共事業にストップをかけることになりました。

「保護を求めた地域が森林生態系保護地域に設定され、林道建設中止が決まったことで、連絡協議会は解散。解散式の記念講演に当時の日本自然保護協会会長の沼田真さんを招いたのさ。沼田さんは講演の中で日本が世界遺産条約を批准すべきであることを述べて、さらに『白神山地を自然遺産に推薦します』って喋ったの。ご褒美だよ。努力が報われたんだ。」


その後、自然環境保全地域の指定と世界遺産条約の締結が決まり、そしてユネスコの世界遺産条約「自然遺産」に登録されることになりました。ふるさとの自然を愛し、人と自然の共生を願い、持続的な未来を見据えた人々の行動の結果が「世界自然遺産」という形になったのです。


取材の中で、根深さんに「白神山地の魅力をどう伝えていけば良いか?」と尋ねると、ありきたりな質問に困惑した様子で「それが難しいんだ。だって行くしかないんだから。」と、一言だけ返ってきました。 白神山地について人並みに知っているつもりだった私は、その答えを聞いてハッとしました。 根深さんの真っ直ぐで飾らない言葉が多くの人の心を動かしてきたことを実感した瞬間です。



(取材・文・編集/白神山地ビジターセンター 山本昌子  撮影/小田桐啓太)