「自然を楽しむということ」
──8,000m峰への挑戦
弘前勤労者山岳会の会長・清野さんは、これまでに2度8,000m峰の登頂を果たしました。 弘前勤労者山岳会(以下:弘前労山)に入会し活動していた知人に誘われて始めた登山。休暇を利用して北アルプスなど国内の山々を楽しむうちにすっかりハマり、より高い所を目指すように。 始めてから10年が経った頃、海外の高い山への意欲が湧きたちます。
「ただ行きたかった。有名になりたいとか、プロの登山家になろうなんて考えではなかった」30代後半には勤めていた会社を退職し、本格的に8,000m峰への訓練を開始します。
地球上には標高8,000mを超す山が14座あります。全てヒマラヤ山脈とカラコルム山脈に位置し、世界で最も高い山々が連なることから「世界の屋根」とも言われ、世界中の登山者の憧れです。 日本でも戦後の登山ブームを皮切りに海外の高峰を目指す若者は徐々に増え、バブル経済が追い風となってブームは隆盛を迎えます。
清野さんが挑戦していたのもこの時代のこと。全国の勤労者山岳連盟支部から集まったメンバーで8,000m峰への登山派遣隊が結成され、清野さんもメンバーの一人として選ばれました。 20kgのザックを背負って穂高岳を問題なく歩ける体力と実力があることが条件で、清野さん曰く「歩けるか歩けないかは見ればわかる」そう。
1度目の挑戦はパキスタンに位置する『ナンガ・パルバット』。標高8,126mで世界第9位、人類初登頂までに多くの遭難者を出したことから「死の山」の異名があります。隊としても清野さん自身としても、初挑戦にして成功を修めます。
続いて挑戦したのはパキスタンと中華人民共和国新疆ウイグル自治区との国境に位置する『K2』。標高8,611mで、エベレストに次いで世界第9位の高さを誇る山。 7,900m付近の最終キャンプで一週間天気を見続けるものの、悪天候から断念。その後2004年、隊としては3度目、清野さんとしては2度目の挑戦で見事『K2』登頂を果たしました。
清野さんは2度の海外遠征の経験から、高峰登山は「体力や技術が十分でも、運と天気次第でどうにもならないこともある」と言います。 海外に入国する際の荷重制限でアイゼンを没収されることや、日本との気候の違いで体調を崩す人も多く、山に取りつくにも一苦労。ベースキャンプですら標高4,000mにもなります。「それまで富士山の高さしか経験していなかった私には初めての環境だった。最初は夜中に腹を下したりして大変だった。少しずつ体を慣らして環境に順応していった。」
8,000m級の頂を踏むということは、たゆまぬ努力と数々の条件が整った時、はじめて達成できることなのだと感じさせられました。
──白神山地でのエピソード
世界自然遺産・白神山地の巡視員を務めていた清野さん。月に1~2回担当エリアをパトロールする中で必然的に地理地形に詳しくなり、白神山地の大自然にも大いに親しんだそうです。そこで、一番記憶に残っているエピソードをお話ししていただきました。
「横倉沢に一人で入ったときのこと。背丈を超えるほどの高さのオオイタドリが風も吹かないのに揺れた。
「カモシカか?」 耳を澄ますと「フッフッ」と動物から発せられる音が聞こえる。「カモシカの声ではないし、何の動物だ?」黙って音のする方を見つめると、沢を挟んで下りてきた。クマだ。あの音はゆったりと歩くクマの息遣いだ。初めて聞くクマの呼吸に驚きと感動を覚えた。こちらに気づいている様子はない。 呆然と見ているとクマは匂いを嗅ぐしぐさをした。ハッとしてカメラを手に取ろうとしたが、クマはこちらに気づき、カメラを構えた時にはどこかに行ってしまった後だった。」
──山で遊ぶ人が増えることを望んで
雪山も夏山も、岩場も大小の沢も、あらゆる自然を体験することで得た清野さんなりの自然観を訪ねると、自然とうまく付き合うコツは「自由に過ごすこと」と言います。「沢のそばで火を焚いて、焚き火を見つめながらお酒を酌み交わすことは自然の楽しみ方の1つ。山だから何でもやっていいということではもちろんないよ。ただ、マナーを心得て楽しむ分には自然が壊れてしまうなんてことは無いんだ。むしろそうやって自然を楽しむ人が増えた方が山は綺麗になると思うけどね。」
また、登山のルールは山で発生するアクシデントから命を守るために必要なことであり、「(登山で)得た知識や経験は里でも通じるものがあると思う。してはいけないことは命の危険に関わること。それは里でも山でも変わらない。」つまり自然の中は、生きていく上で重要なことを学べる場だと教えてくださいました。
清野さんは労山に入会する若者に向けて次のことを伝えています。「小さくまとまるな。好きなことをやれ。」
登山スタイルは百人百様、自然のどんなところに面白みを見出すかも人それぞれですが、広い視野を持って自然に深く溶け込もうと思わせてくれる言葉でした。